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にほんブログ村【2014年6月19日】ヴィリニュス→カウナス→ヴィリニュス
"NOと言えない日本人"
"YESマン"こんな言葉耳にしたことがある。
きっとみんなあるよね?
私は比較的はっきりNOと言ってしまうタイプだ。
てゆーか思ったことをわりとなんでも口にするタイプだ。
大人になってからはむやみやたらとなんでも口にすることは少しは控えるようにはなったけど、
それでもどう考えても間違っていると思うこと、納得のいかないこと、腑に落ちないことは、
たとえ上司でも先輩でもクライアントでも、
つまり相手が誰であろうと自分の意見ははっきり伝えてきたつもりだ。
私の場合、言いにくい相手にでも気合いでなんとか言う!
というよりは思っていることを口にしないことが気持ち悪いという感覚だけど。
自分に正直でいたいし、相手にも正直でいたい。
コイツどうでもいいわ、言う価値なしって人には何も言わないけど。
言うのも疲れるからね。
ちょっと話がそれたけど、
そんな私でも
"YESとNOどっちが言いやすいか"っていったら、
それはもちろん
"YES"だ。
きっとそれが多数派だよね。
でも"YES"だからっていつでもどこでも簡単に言えるわけじゃない。
今日はものすごく重たい"YES"の決断をした方をもっと深く知るためにカウナスという町に行く。
杉原千畝さんという方をご存知でしょうか。
お恥ずかしながら私はつい4〜5日前まで知らなかった。
タリンの日本人宿で出会ったなみこさんに
「杉原千畝さんの記念館に行く??」って聞かれた。
宿のオーナーも「僕も行きましたよ」って。
本当に恥ずかしいけど、
え?その人って有名な人なんですか?
その記念館ってみんな行く感じのところなんですか??なんて聞いちゃって。
そうしたらオーナーが杉原記念館で購入したというガイドブックを見せてくれた。
お借りして隅から隅まで読んだ。
衝撃を受けた。
なんという人だろうと思った。ここでは簡単に書きますが、
杉原千畝さんはリトアニアのカウナスにあった日本領事館で領事代理をされていた方。
第二次世界大戦初期にナチスの迫害から逃れるために日本の通過ビザが必要だったユダヤ人にビザを発給して
6000人を超えるユダヤ人の命を救ったとされている。
ユダヤ人へのビザの発給は"日本"はしてはならないと言った。ドイツと同盟を結んでいたからだ。
そんな中杉原さんは命の危機にあるユダヤ人を見殺しにすることができず、
国の命令に背いてユダヤ人達にビザを発給した。
かなり端折っていますが。
当時の状況で
"ユダヤ人にビザを発給する"ということが
どれほど重たい決断だったんだろう。
歴史に疎い私でも、とんでもない決断だったんだろうっていうことだけはわかる。
領事代理が他の人だったらどうだったんだろう。
救われた6000人の子孫は今この世にいただろうか。
もし私だったら…??
もっと知りたいと思った。カウナスにある記念館に行ってみよう。
前日にバスターミナルに行って聞いたら
ヴィリニュス→カウナスのバスはいっぱいあるから心配しなくていいわよっておばちゃんが言うから、
そのままターミナル行って次のバスのチケットを買った。


小さな車が登場した。
車の中で鼻をグズグズしていたら横のおばさんがそっとティッシュを渡してくれて、
それだけもリトアニアの人は優しいなと思って心が温かくなる。
そして約1時間半ぐらいでカウナスの町に到着。

杉原記念館を目指す。
記念館は思いっきり住宅街にあった。
ここであってるのかと不安になるぐらい。

発見。


中には杉原さんの生い立ちから家族との写真、
ビザ発給の決断を迫られた当時の話などパネル展示されている他、15分ぐらいのDVDを見ることができる。




私はすべてのパネルを全読みした。今までそんなことしたことない。
さらーっと写真だけ見てソッコー終了してた。
なんとなく入りましたっていう場所と、意志を持ってきた場所は確実に違うなって思った。

国旗の前のデスクは杉原さんが実際にビザを書いていた場所だそう。
何百年も昔の話じゃない。数十年前に実際ここで起きていたこと。
ここなんだ…って思った。

日本各地から多くの日本人がこの場所を訪れている。
ツアーで来る方が多いっていう話だけど、署名ノートがあったから開いてみると、
今日だけでも何人もの署名があったし、昨日、おととい、その前、
本当に多くの方が次々と来ているみたいだった。私も署名させてもらった。
日本人のスタッフがいるわけじゃないけど、
英語が話せるし質問したことにも笑顔で丁寧に答えてくれてとても感じのいい人だったよ。
今までこういうことに興味を持ったことはなかった。
歴史嫌い、思わず耳をふさぐ。歴史わかんないしって。
でも杉原千畝さんのしたことは本当に素晴らしいと思った。
尊敬する。
だからここに来た。
私が杉原さんだったら、"NO"という国を相手に
”私はYESです”と言えるだろうか。
しかもユダヤ人を日本が助けたともなればドイツとの関係がどうなるかだってわかんない。
反対を押し切ってやっちゃいましたレベルの話じゃない。
私にはきっとできないだろう。
私はこの先こんなに大きな決断を迫られるような立場に立たされることはないだろうけど、
それでもなにかしらの決断に迫られたときは利害関係や圧力に左右されず、
自分の心に正直にまっすぐな決断ができる人でいたいと思う。
杉原千畝さんのように。
杉原記念館を後にして、せっかくだからカウナスの町を散歩してみることにした。
昨日からなんだかまた体調が良くないけど、すぐに帰るのはもったいない気がして。
なんとなく満たされた気分だったから。
カウナスの町はとってもキレイだった☆

新市街は真ん中が並木道になっていて両側にお店が立ち並ぶ。
旧市街は旧市街でとっても雰囲気が良かった。







雨が降ってたら絶対ソッコー帰ってたから晴れて良かった。
私はヴィリニュスを拠点にして日帰りしたけど、1泊してもよかったなって思えた町だった。
ヴィリニュス→カウナス所要時間:1時間半
運賃:20リタス(約840円)
※帰りは普通の大きなバスで19リタスだった。
結構歩き回って疲れたけど、今日はシェア飯する約束をしている。
グアテマラのシェラで出会い、アルゼンチンのエル・カラファテで再会したトムくんと
タイミングが合ってまさかのリトアニアでの再々会!
トムくんが料理覚えたいとか言って、
じゃあシェア飯とかしちゃう?とかって昨日約束したからダルいねーとか言いつつ頑張って作ることに。
ポテトサラダが作りたいって言うからポテサラ担当はトムくん。

もこみちしたかったんだってー( ̄~ ̄)
そしてゆきんこは得意のパスタ担当。

マッシュルームやっつけ中♪
トムくんが包丁3回ぐらいしか握ってないとか言うから、
マジで!?いい歳してそんな人いるの!?やばくない!?って思ってたら意外とちゃんと出来てるからおかしいなと思ったら旅行中に3回ぐらいってことだったらしい。
それなら私もいい線いってるんですけど(*°∀°)=3マジで5回ぐらいな気がする。だって第2弾も2ヶ月経ってるのに初料理だし♪
最初はダルかったけど誰かときゃいきゃいしながら料理して一緒に食べるってのは楽しいなーと思った☆

そして我らはリトアニア時間でAM1:00、決戦の場所へ。
日本VSギリシャ!!!
巨大スクリーンのあるお店を見つけて1番前のど真ん中で応援したけど、残念ながら引き分けだったね。
悔しかった。もうふて寝。
今日カウナスへ行ったのは、出会いから生まれた出会いによるものだ。
あの時タリンの宿で杉原千畝さんの話を聞かなければ来ることはなかったし、
彼の功績も知らぬままだっった。
大きな大きな出会いだった。
明日はどこに行こうかな♪
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